”ちょっと長いかな〜”の絵本
少し長いと思うかも知れません。でもこのぐらいは聞いてね、読んでね!一人でよんでもいいね!のページです。
(アイウエオ順)
は日本の昔話・・・ は外国の民話や昔話・・・ は夏に・・・ は秋に・・・ は冬に・・・
(絵本を読むおよその時間を参考までに


赤い目のドラゴン(アストリッド・リンドグレーン 文、イロン・ヴィークランド 絵、ヤンソン由美子 訳)〔岩波書店〕9分
ぶたがあかちゃんをうんだ次の日、始めてドラゴンを見たのです。10匹のこぶたとドラゴン。ドラゴンにもおっぱいをやっていたかあさんぶたも、するどい歯のドラゴンには、あげなくなってしまいました。そこで、わたしとおとうとは、毎日えさを与えにぶたごやにいきました。せなかをくすぐるときもちよさそうにして、うれしさで目は真っ赤になりました。なかよく楽しく過ごしたのですが・・・夕焼けのうつくしい十月のある日、ドラゴンがやってきました、目にいっぱい涙をためて・・・ドラゴンがとべるなんて知らなかったのです。(ドラゴンって外国の絵本では重要なキャラですね。ドラゴンが主人公の作品がたくさんあります)

あくまの三本の金のかみの毛 グリム童話(ナニー・ホグロギアン 再話、芦野あき 訳)18分
むかしむかし貧しいふうふに男の子が生まれました。14才になって王の娘と結婚するという予言があったのです。
このことをきいた心の曲がった王様はつりあいのとれない結婚に反対しいろいろなやり方でこの子どもを葬ろうとしますがかないません。そして王の娘と結婚し、王様からだされた難題、あくまの三本の金のかみの毛もとってきて、幸せに暮らします。(長いのですが、話の展開がおもしろくあきさせません。)

いだてんの六 おはなし名作絵本5(そやきよし文、福田庄助絵)〔ポプラ社〕14分
たんぼの仕事は苦手だけれど、走らせれば村一番。田んぼの仕事ができなければ一人前に認められない時代の”六”ですが、隣の家の子供が病気で黒百合の根がいるといわれ雷がなり稲妻が光る中を必死で走ります。走ったのは自分のため。今の時代ならアスリート。絵は、雷の稲光と”六”の必死の勢いが迫力でせまってきます。

おおかみと七ひきのこやぎ グリム童話(フェリクス・ホフマン 絵、瀬田貞二 訳)〔福音館書店〕9分
よくご存知のグリム童話のお話。おかあさんやぎが森へいこうと、こやぎを集めて、オオカミに気をつけるようにいいます。しわがれ声と黒い足に気をつけて、と。オオカミは、村の雑貨屋ではくぼくを買って食べて声をきれいにし、粉屋で白い粉をかけてもらってこやぎをだまし、がぶりがぶりと食べてしまいます。助かったのは末っ子だけ。悲しんだおかあさんやぎは、外で寝ているオオカミを見つけて・・・・・はさみでじょきじょき。みんなを助け出します。

おおきくなりすぎたくま(リンド・ワード作、渡辺茂男訳)〔ほるぷ出版〕 10分
谷あいの村に住むジョニーはある日こぐまをつれて帰ります。大きくなるにつれ、ジョニーの家はもちろん近所の家や農場も大変。台所の食べ物をあらす、とうもろこし畑のとうもろこしも、くんせい室のベーコンやハム、かえでの蜜。どんどん大きくなるくまに皆は困ります。大きくなったくまは森に返さなければなりません。けれども何度も戻ってくるのです。おとうさんと相談したジョニーはついに決心して、鉄砲をもってくまと一緒にでかけますが・・・(絵が茶色の濃淡で描かれていて読み聞かせには地味かもしれないのですが、大きなくまがどうなるんだろうと、はらはらしながら引き込まれていきます。結局、仕掛けられた罠にかかって、殺されることはないのですが・・・今年(H.16)は、各地で熊が里までおりてきて、ひと騒動でしたが、うまく共生できる智恵が人間にはあったんじゃないか?と考えさせられます)

鬼がくれ山のソバの花(小暮正夫 作、石倉欣ニ 絵)〔国土社〕(11分)
おにがくれ山に住む赤おにはソバが何よりの好物で、食いたくなると山からどなる。「ソバくわせろやぁ〜」と。村人は仕事をやめておにのためにソバを作る。オシノは病気のじいさまと二人暮しで、もう椀にいっぱいのそば粉も残っておらず、じい様のためにトチの実をひろいに山へでかけて谷川へへ落ち、その赤おにに助けられる。オシノはあくる日、もらい集めたソバの種を持って山の赤おにのところへ持っていき、自分の食べる分は自分で作れと、ソバの作り方を教えてやる。あっという間に畑をつくり、種を蒔くとすぐに芽が出て花が咲き、一晩で実をつけた。今度は赤おにが村のしゅうにそばをごちそうする。ある日雨と風がふきあれ、うずまき川の堤が切れそうになる。赤おには村のしゅうを助けるために岩になって堤を守った。山のソバばたけを頼むといって・・・(そば道場でのそば打ち体験が盛んですが、もともとは米がとれないような荒地でもでき、まずしい村人には貴重な食料なのだということを読む人が理解してくれるといいのですが・・・この飽食の時代に無理ですかねぇ〜。それにしても”新そばの十割蕎麦はおいしいですよね)

おはなしこねずみロミュアルド(アンヌ・ジョナスさく、フランソワ・クロザえ、なかいたまこやく)〔フレーベル館〕16分
図書室に住むこねずみのロミュアルドは新年に両親が出かけた留守にあなから出て図書室に。ネコのチベールがいるので出てはいけないと言われていたのですが・・・。その図書館の本に聞いたお話はとても面白く、夜、夢の中でたくさんの冒険をしました。そしてあくる日、広いところへ、屋根裏のいとこに会いに行くのです・・・ロミュアルドの冒険。ところが、そこにはネコのチベールが!!さて・・・?(ワクワク、ドキドキ。ロミュアルドが想像する猫というのは、やっぱりネズミ。絵を見てくださいね。それにしても、想像力というのは所詮自分の知っている範囲でしか働かないというのはネズミも人間も同じなんですね。経験が重要)

おやゆびトム・ペロー童話(リディア・ポストマ 文、絵 矢川澄子 訳)〔福音館書店〕13分
むかしまずしい木こりが、おかみさんと七人のむすこと森のはずれにすんでいました。子ども達をうえ死にさすのはしのびないと、森へおきざりにすることにしたのですが、その話聞いていた末っ子のトムは、ポケットに石をつめこんで、目印にみちみちまいておいたので、家に帰れました。けれども次に森に行く時には、小石をひろうことができず、朝のパンをポケットにしのばせましたが、パンくずはみんな鳥が食べてしまって帰ることができません。
夜の暗い森で明かりを見つけ一晩泊めてもらおうとたずねた家は、人食い鬼のすみかで、食べられそうになります。トムの機転でなんとか人食い鬼の家から逃げ出したのですが、人食い鬼は、七里靴をはいてあっという間においついてしまいます。トムたちはほら穴に隠れるましたが、子ども達がみえなくなって人食い鬼はかんかんに怒り穴の前に座り込みました。寝こんでしまった人食い鬼から、兄さんたちを逃がしたトムは人食い鬼の七里靴をはいて人食い鬼の家に引き返し、金銀宝石をかついで大急ぎで帰り、それからはみんな幸せに暮らしましたとさ。(シーンとして聞いていた子ども達は、終わったとたん”はー”とため息。集中して聞き入っていたのですね。”どうなるんだろう”と最後までしっかり聞いてくれたのです。長いお話ですが、二学期になると一年生も聞くことになれてきて、読み甲斐があります。)

かちかち山(瀬川康男 絵、松谷みよ子 文)〔フレーベル館〕(11分半)
昔あるところに、じいさまとばあさまが仲良く暮らしておった。じいさまは、くらいうちから山の畑ではたらいていたが、夜になるとたぬきがはたけのものをみんなた食べてしまう。いまにみとれと、とうとうじいさまは、たぬきをつかまえて帰った。ところがばあさまをだまして、ころして、たぬきは山へ逃げ出していった。悲しむじいさまにうさぎは、きっとたぬきをやっつけてやると、なぐさめた。
「ちょうじゃのやねがえでかやをかる」と歌ううさぎに、よくよくばりたぬきも一緒にかやを刈り、背中に背負って返る途中、うさぎは「かちかちやまのかっちんどりがないていると」かちかち、火をつけ、ぼうぼう燃え出すと「ぼうぼうどりがないている」と逃げ出してじいさまにたぬきはやっつけた、といった。
ところが、やけどをしたたぬきは、うさぎをさがしてあっちへこっちへ。とうがらしやまで、せなかにとうがらしみそをぬられ、木を切って船を作るうさぎに、どろの船を作るようにいわれ、川へ。歌に合わせて船べりをたたくうさぎにまけるものかと、どろの船の船べりをたたいて、ぱくり。とうとう ぶくぶくしずんでしまったとさ。(絵がシャープでタヌキの憎らしさが際立っています。タヌキの背中でぼうぼうと燃える火の勢い。火ぶくれの背中が痛そうなタヌキの絵は見開きいっぱいに・・・子ども達には、絵をしっかり見せて想像力をかき立てたいところです。子ども達はしーんとして、見て聞いて。昔話はいいですね)

かめのヘンリー(ゆもとかずみ 作、ほりかわりまこ 絵)〔福音館書店〕9分半
ぬいぐるみのかめのヘンリー。ちよみちゃんが赤ちゃんの時から一緒で、大きくなってからも、寝る前にヘンリーとおしゃべりしながら寝るのです。ある日、ちよみちゃんが病気になって、汚れたヘンリーは物置にいれられてしまします。お母さんはあとできれいに洗ってあげると言ったのですが、物置にいれられてまま。ヘンリーは自分で体を洗ってきれいになろうと、物置から必死でお風呂場へ。石鹸をつけて、お風呂にジャボ〜ン。お湯の渦でわけがわからなくなったヘンリーですが、気がついたら、庭の物干しにぶら下がっていたのです。きれいになってちよみちゃんも元気になって。良かったね。お母さんだけは不思議そうでしたが・・・・・ (子ども達には、寝るときに一緒というぬいぐるみや大好きなタオルがあるものですが、かめのヘンリーはそんなタオルのぬいぐるみ。内容が3年生には幼いのですが、1年生にはちょっと長いかしらと思いながら読んでみました。子ども達にもそれぞれお気に入りがあるという声があがって、次はどうなるのと一生懸命聞きいっていました。)

かたあしだちょうのエルフ(おのきがく 文、絵)〔ポプラ社〕(9分)
わかくて、つよくて、大きな、おすのだちょうのエルフは千メートルを一息で走ったことがあったので、そうよばれています。アフリカのことばでエルフとは千のこと。エルフは子どもが好きでした。背中にのせて歩いたり、木の実やお弁当を配ったり。ある日、ジャッカルがおそってきた時は、ライオンの声を真似て追い返したのですが、そのあと本当のライオンがおそってきて、みんなを守るためにエルフがライオンと戦います。ライオンを追い払ったものの、エルフの片足は食いちぎられてしまっていました。日がたつにつれて、みんなから忘れられて、ひとりぼっち。うまく歩けないエルフはハイエナやはげわしに「まだ生きている、早くえさに・・・」と言われながらひとところに立ったまま目をつぶっているばかりでした。ある日、くろひょうがおそってきました。逃げおくれた子ども達を背中に必死で戦いぬきます。みんなが「エルフありがとう」と言ったとき、かたあしのエルフとおなじかっこうのすばらしい大きな木が空に向かってはえていたのです。


がんばれちびくじら (エリザベス・ベレスフォード 文、スーザン・フィールド 絵、せなあいこ 訳)〔評論社〕10分
くじらの家族のちびっこくじら。おかあさんのそばにいなければいけないのに、ちょっと寄り道。その間に家族とはなれてしまいます。おかあさんはいつもウイイイーンウイイイーンと、声を出しながら泳いでいますが、よく似た人間のボートのエンジンの音についていってしまい、ボートと一緒に港に向かいます。そしていきおいあまって浜辺に打ち上げられてしまいます。大変です。海水がないと死んでしまいいます。ボートのおとうさんとジュシュぼうやはちびっこくじらを助けようと町の人達と一生懸命です。消防自動車がやってきて水をかける準備をします。お友達もカンやバケツをもってきて水をかけます。ちびっこくじらがいなくなってしまったのに気がついた鯨の家族は、港の近くで待っています。みんなは一生懸命がんばって、ついにちびっこくじらを海に返してやることができました。(ほんとうにあったお話をもとに作られています)

木ぼりのオオカミ(萱野茂 作、斎藤博之 絵)〔小峰書店〕18分
若者が石狩川でサケを取りに出かけました。ところが、強い力で引っ張られるように、上流へ行ってある家で泊めてもらいます。新しい熊の神を祭っていないので不思議に思いましたが、さらに奥へ、奥の山へと出かけ、さびしい山の一軒の家にたどり着きます。美しい女と子どもが住む家で、そこで、熊から二人を守る木ぼりのオオカミの話を聞きます。小さな木ぼりのオオカミが毎晩二人を守ってくれるのです。その女の家は実はその泊めてもらった家で、それがこのさびしい山にいるのは、実は熊の神の仕業だったのです。オオカミとの戦いで疲れた熊を矢で射た若者は、夢で熊の神の話を聞きます。女と子どもを家まで送った若者は、熊を祭って、魂を神の国に帰してやりました。おじいさんが話してくれました。

きんいろのきつね(大川悦生 文、赤羽末吉 絵)〔ポプラ社〕13分
ある帝におつかえする女たちの中に、たもとのまえといううつくしい姫があり評判でしたが、またそのころ、都に悪い魔物が住み着いているといううわさが立ちました。帝が熱病にかかった時に、「たもとのまえ」のせいではないかとささやく者があって、うらないしのあべのやすなりを呼び寄せたところ、鏡にうつったのは、たまものまえではなく、きんいろのきつねだったのです。十二単をぬいで狐が逃げると、帝の病気もすっかりなおり元気に。中国やインドも荒らしまわったきんいろの狐は、いつのまにか日本へきていたのです。さて逃げていった金色の狐は那須のが原で大軍に囲まれ、矢を受け、喉笛をきりつけられ、最後を迎え、そのしかばねは毒煙をはきだすおおきな石になったのです。(アジアの歴史が盛り込まれていて、こんな昔話あったの?というお話)

金のさかなロシアの民話(A.プーシキン作、松谷さやか訳、V.ワシリーエフ絵)〔偕成社〕
青いうみのほとりにおじいさんとおばあさんは住んでいた。古い土小屋で33年、おじいさんはさかなをとり、おばあさんはいとをつむいだ。ある日、金のさかながあみにかかったが、「おじいさん、わたしを海へかえして!そのかわりおれいをします」とにんげんのような声でたのむので、おじいさんはにがしてやった。
ところがそれをきいたおばあさんは、おじいさんをしかりつけて「せめてせんたくおけでももらってくれりゃいいじゃないか」と。そこで、海へいって、金のさかなにたのむ。おばあさんは、まえよりどなりちらして「おひゃくしょうの家がほしいと、たのんでおいで」またうみへいくと、青い海は少しにごっていた。また金のさかなにたのむと、あかるいへやのある家がたっている。でもおばあさんはわめきちらして「みぶんのたかいきぞくになりたい」と。また海へいくと青い海はあれていた。金のさかなにたのんでかえると、望みどうり。でもおばあさんはますますおこり「かってきままな女王になりたい」海へいくと、青い海は黒ずんでいた。「やっとおまえさんも、まんぞくしたんじゃないかね?」というおじいさんをおいはらえといいつけた。しばらくして、おじいさんをさがしだし、今度は「海の君主になって、ひろびろとした海でくらして、金のさかなをけらいにしたい」といいだした。海へいくと、海はどす黒くにごり、あらしがふきあれていた。金のさかなはなにもいわず、海のそこへすがたをけした。しばらくしてもへんじがないのでおばあさんおもとへかえっていくと、そこにはもとの土小屋がたっていて、こわれたせんたくおけがあった。(最後の絵は・・・でもきれいな海の前に立っています。国を問わずお話の中では欲ばりなおばあさんってたくさんいますね。)

木(こ)びきの善六(清水達也 ぶん、小沢良吉 え)〔佼成出版社〕 9分
西伊豆の岩科のさと。木びきの善六は大きな体をしていましたが、うではにぶいし仕事ものろくて、仲間から馬鹿にされていました。くやしくて雲見の権現様に願かけをすることにし、三かく山のてっぺんにあるお堂で二十一日間、のまず食わず過ごします。「おらを、日本一の木びきにしてくだせぇ。いわをもひける力をおあたえくだせぇ」と祈りました。ふらふらになって願かけを終えた善六は、しごとに出ますが、岩はひけても木はひけません。仲間に笑われ、しょんぼり帰ります。岩も引けるようにとお願いしたのがいけなかったと、今度は「日本一の木びきにしてくだせぇ」と祈りました。二十一日目に権現さまがあらわれて「よくがんばった。日本一の木びきにしてあげよう」と。江戸に出た善六はえらぶることなく、仲間を助け、年を取って伊豆に帰るときには、若いしゅうがあとについて江戸を下ったということです。

サリーのこけももつみ(ロバート・マックロスキー 文、絵、 石井桃子 訳)〔岩波書店〕11分
お母さんと一緒にこけももやまへこけももつみに行ったサリー。冬のあいだに食べるジャムにしましょうね、とお母さんはこけももをつんでバケツの中に。サリーはつんでは口の中に。こけももやまの向こう側には、ちいさなくまがおかあさんぐまとこけももを食べにやってきていました。寒い長い冬がくるからおなかいっぱいたべるのよ、とおかあさんぐま。こぐまはたちどまってはおかあさんぐまをおいかけていましたが、すわりこんでこけももを食べ始めました。
さてサリーは、手のとどくところのこけももをたべてから、お母さんを探しにいきましたが、音がすると思ったのはおかあさんぐまでした。こぐまもおかあさんぐまを探しましたが、音がする方へいくと、それはサリーのお母さんでした。驚いたのはおかあさんたち。おかあさんぐまは、こぐまを、サリーのお母さんはサリーをさがして、どちらもなかよくこけももやまをおりていきました。

サンタさんの青い球(岩本久則 作、夏目尚吾 絵)〔小峰書店〕11分
「ニハロ、ニハロ、ネネシネリ」サンタがたった二度だけ口にできるじゅもんでできた青い球を、2億6千万キロはなれたくらやみにソットはなしたサンタ。不思議な生命(いのち)が感じられサンタは満足。やがて青い海ができ、緑こい樹木がしげり、しずかに動く生き物が感じられました。サンタは”宙の果て”印のワインを飲んで見ています。いつのまにか2本足で歩くものが現れ、その子ども達がかわいくて新しい仕事として12月24日の晩にプレゼントを贈ることにしたのです。2本足の生き物は頭がよく、いろんなくふうをしたり、新しいものを作る能力にすぐれていましたが、他の生き物がいなくなり、木や草や、青い球のなかをほり返して、石や液体まで利用するので、青い球は茶色くなってしまいました。みんな青い球から消えてしまって、お別れの時がきました。サンタは無数の星を作る作業に終われます。やりきれない思いでいましたが、ついに重大な決心をしてもう一度青い球を作ることにしたのです。あの、もう二度と使えないじゅもんを使ってもう一度、青い球をつくったのです。(H.16年は、新潟中越地震についでスマトラ沖地震。温暖化とともに、このサンタの心配がぐっと身近に感じられて、地球は大丈夫?と思いますね。二つ目の地球が茶色になりませんように)

三人むすこ(渡辺茂男 文、瀬川康男 絵)〔福音館書店〕13分
むかしあるところに、三人のむすこがすんでいた。一ばんめのむすこのたろべえはなまけもの。ニばんめのじろべえは、おとなしく、三ばんめのさぶろべえは、気が強かった。ある日、とうさんが三年ひまをやるからおもいおもいに旅をするようにといって、三人は五両づつもらってでかけた。三ぼんみちのつじで、たろべえは右の道、じろべえはまんなか、さぶろべえは左の道をいくことにして、三ねんたったらここであおうといってそれぞれに旅にでた。たろべえはぶっかけっわんこと一緒にどろぼうの名人になった。じろうべえは、へらっこで、長者の娘の病気をなおして、ちょうじゃどんのむすめのむ子になってしまった。さぶろべえは、こばんがだいじゃの喉にひっかっかったので、退治して、都のさむらいになった。約束の日、たろうべえは、じろべえのうちから、千両箱を盗み出し、すたこら逃げ出したところへ、みやこからやってきたさぶろべえがおいつきざま捕まえてみてビックリ!「やれやれなんとしたことか?」さんにんともおどろいたけれど、手をとりあってよろこび、千両箱をかついでうちに帰ったと。さぶろべえは都にかえってえらいさむらいになって、じろべえは。ちょうじゃどんのあとをつぎ、たろうべえは、はたらきものの百姓になったそうな。

12のつきのおくりもの スロバキア民話こどものとも(内田莉莎子 再話、丸木俊 画)〔福音館書店〕10分半
ふたりのむすめとくらすやもめがいました。あねむすめのホレーシカばかり可愛がり、ままこのいもうとマルーシカにはつらくあらります。マルーシカはせっせとはたらき、美しい娘になっていきます。マルーシカをおいだそうと冬の日にすみれの花をつんでくるように言いつけます。森で12のつきのせいがあつまるたきびをみつけ、たすけてもらいます。すみれをつんでかえったマルーシカにこんどはいちごみつけてくるように言いつけます。また12のつきに助けられます。りんごをといわれまたたすけてもらって二つのりんごを持ち帰るのですが、なぜもっととってこなかったと、あねむすめのホレーナが冬の森にでかけますがかえってきません。心配したやもめがむかえにいきますがふたりとも雪うもれてしまいます。ホレーシカは春がくるとけっこんして幸せにくらしました。(こどものともは、福音館書店の月刊予約絵本)

しろくまくん、どこへ?(ハンス・ド・ビア 作、矢川澄子 訳)〔童話屋〕10分
こぐまのラルスは始めてこおりの野原を越えて海まで、おとうさんと出かけます。泳ぎを教えてもらい、大きな魚を取ってもらい、雪の山のかげで寝ることも教わりました。目がさめるといいお天気。でもまわりは水ばかりで、こおりの上でひとりっぼっち。着いた先は南の島のようです。かばのヒッポ、わしのドラゴ、しゃちのオルカに助けられて、やっとこおりのある、もとの海に戻って、おとうさんに会えました。

ティナとおおきなくま(ウテ・クラウス作、絵、青木久子訳)〔徳間書店〕9分
とおいきたのくにのもりのそばにちいさな村がありました。その村にティナというおんなのこがすんでいました。村の人たちはもりのおおきなくまのことをはなし、退治したいと思っています。村のかりゅうどと一緒にティナもつかまえにいきたいと思って、強くなるためにれんしゅうをしました。
くまたいじに一緒にいったティナですが、くまをみつけられなくて、村のかりゅうどは、とうとうあきらめて村へ帰ることをきめたのです。ティナは、”おおきなくまさんに会いたい”とどんどんもりのおくへ入っていって、くまのあしあとをみつけ、ついていくのですが、道にまよってしまいます。そこへくまさんがでてきて、テントのところまで案内してくれます。ティナはおおきなくまさんにあえて幸せでした。

でっかいまめたろう子どもがはじめてであう民話3(大川悦生 作、長谷川知子 絵)〔ポプラ社〕14分
まめから生まれた”まめたろう”は小さいけれど元気者。15才の時に冒険に!ヒキガエルをやっつけて、オオカミもやっつけて、お供ははち、くも、のねずみ。奥山の鬼を退治に行きます。??どこかで聞いたような、知ってるような・・・・・?そうなんですね、鬼退治は昔話の永遠のテーマです。はち、くも、のねずみというのが、?えっ?ですけれど。長谷川知子さんの子どもの絵は目がくりくりっとして元気一杯、愛嬌があってかわいいですね。

とらときつね(小沢正文、村上幸一絵)〔チャイルド本社〕9分
むかし むかしの ちゅうごくで、とらとおおかみ、くま、うさぎたちが おしゃべり。おおかみが「にほんには きつねという あたまのいい いきものがいて、にんげんを ばかすことだって、できるそうだぞ。」というと、とらが「いくら あたまがよくても、このとらさまには かなうまい。ちょっと いって きつねを おどかしてやるとしよう」といって、みんなのしんぱいもきかず、ふねにのりこんで、にほんを めざして どんぶら うみを わたていきました。
「ふたりで かけくらべをしよう」というとらに、きつねは なかまのところへ はしってかえり「ちょっとばかりたすけをかりたい」と、こそこそひそひそ。かけっこのばしょは たけやぶ。よーい、どん!とらは びゅうっと たけやぶのなかを。ところが、たけやぶのそとへ とびだしたとたん、「おやあ?きつねのやつが さきに ついておるぞ。」じつは、なかまのきつねが まちかまえていたのですが、そうとはしらない とらは びっくりぎょうてん。
「なにかのまちがい。もういちど むこうの かわまで きょうそうだ。」とらはぴゅうっとかけだしましたが、またしても ついたとたんに きつねがひょっこり。「あしのはやさには こうさんだ。およぎくらべだったら まけないぞ。」じゃぼーん!ところが やっぱり、きしへあがったとたん、きつねがひょっこり、そして「よのなかには、じぶんよりも ずっとつよくて ずっとかしこいものが いることが わかりましたか」と。とらは「わかった。めんぼくない。わしは くにへ かえることに しますわい」とらはしょんぼり。ふねにのりこむとちゅうごくのくにへ。
「めんぼくない。ちからくらべはこりごりだ。」でも しゃくにさわって たまりません。そこで とらは じぶんにそっくりの ねこ といういきものを つくると、ふねにのせて にほんのくにへ おくりだしました。こうして ねこが にほんに すみつくように なりました。つよくてじょうぶな ひげがあるのは、とらが じぶんのひげを さんぼんつけてよこしたからなのです。

八方にらみねこ(武田英子 文、清水耕蔵 絵)〔講談社〕10分
養蚕の苦労を助けるねこのみけのお話。ずっとむかし、小正月の夕方。雪の中、山の村の細道をとぼとぼと歩いていたすてねこのみけは、村はずれの家のばあさに家にいれてもらう。春になると蚕を飼うじいさとばあさはネズミから蚕を守ってくれるといいのだがとみけに言った。春の夜、夜更けにネズミがおおあばれ。みけはすっかりネズミに馬鹿にされ、山猫のにらみの術をおそわろうと深い山へ登っていった。火をにらんで、そのにらんだ目で火を消せるようになるまで、つらい修行の日が続く。一年かかって修行を積み、じいさとばあさの家に帰ると春。その夜、やってきたみけを見て、ネズミはびっくりぎょうてん。キューバタン。村の人がみけを貸してほしいと頼みに来るがみけ一匹では間に合わない。そこでみけの絵をかいてくばったそうな。

はらぺこおおかみと7ひきのこやぎ
(トニー・ロス作、金原端人役)〔小峰書店〕(9分)
おかあさんやぎが かいものにでかけるときのこと。こやぎを集めて、オオカミに気をつけるようにいいます。「はらぺこおおかみが はいってくるかもしれないから げんかんのドアは ぜったいにあけちゃだめよ。」オオカミは、おんがくのせんせいのところへいって、「どうすると やさしいこえで うたうように しゃべれるようになるんだ」とおしえてもらいます。えのせんせいのところへいって「おれさまのてをしろくぬれ。やぎのてみたいに」とぬってもらいます。ぼさぼさのしっぽを はいしゃさんんでぬいてもらって、むぎのほをしばりつけると、やぎたちのいえにやってきて、とうとうたべてしまいました。せきたんバケツにかくれた すえっこのやぎは、かえってきたかあさんやぎに はなします。かあさんやぎは、はらぺこおおかみをつので、ドン!こやぎがとびだしてきます。7かいめはおもいきってドッカーン!はらぺこおおかみははやしをとびこえ みえなくなりました。(現代版おおかみと7ひきのこやぎ)

ふっくらふしぎなおくりもの
(佐藤さとる 文、岡本順 絵)〔ポプラ社〕9分
お正月もすぎ、小さな鏡餅にはひびわれが。ある朝、やってきたねずみが鏡餅をかじろうとしたのでおばあさんは文句を言って追い払おうとしましたが、おじいさんはわけてやってもいいだろうといいます。ねずみは「ふくのかみのおつかい」というし、年の始めにで出くるなんて縁起がいいぞと。その日は、いい天気なので、おばあさんは川へ洗濯へ、おじいさんは、柴刈りに。その間に三匹のねずみがお餅のかけらを運んでいきます。たきぎをたくさんとったおじいさんが、ゆっくりゆっくり山道を下りていくと、いきなり一匹のネズミがとびだしてきて、ついてくるように合図をします。どんどん行くと、息も楽になって、足取りも軽くなって若い頃のようです。なんとネズミはお餅のお礼に若返る「ふくのかみのふくのみち」を教えてくれたのです。おばあさんにも教えてやろうと、もときた道を引き返し、目印に背中のしょいこをおろしたおじいさんは、大急ぎで家に帰りました。ところが、おばあさんは、「ふたり いっしょに としとって とてもしあわせです。もういちど 年をとりなおすのは ごめんです」と、言います。おじいさんも「そうだなぁ」と、ふくのかみさまにお礼を言って ふくのみちは ふさいでもらいました。(きっぱりしたおばあさんは自立してますねぇ〜高齢化の中でこんな風に言える年のとり方をしたいと思いますね。夫婦一緒にいい人生を生きていきたいものです)

ふくろうおばけとゆうれいねずみ(ジークリット・ホイク 文、ベルンハート・オーベルディーク 絵、那須田淳・木本栄 訳)〔評論社〕(12分)
ちいさなサーカスに白いふくろうがいました。小さな鳥かごに入っていましたが、めずらしいので、人気でした。あるとき庭師がやってきて、わけてほしいと、サーカスの団長に頼みました。庭師のご主人が、ゆうれいに悩まされているので、退治するのでふくろうがいるというのです。ゆうれいの正体がネズミだと知っていた庭師は、ご主人のお城についてから、ふくろうを屋根裏部屋に閉じ込めました。ふくろうをおばけだと思ったネズミたちは、怖がって穴にもどったので、城の中は急にしずかになりました。さて、閉じ込められたふくろうはどうしたか・・・?飛ぶこともねずみを食べることも知らないふくろうが最後には、大空へ飛び出すのです。(絵もきれいで、筋立てもしっかりして子ども達は食ういるように絵もみて集中して聞いてくれますよ。)


ふしぎなかけじく韓国の絵本10選(イ・ヨンギョン 絵、文、おおたけきよみ 訳)〔株式会社アートン〕(11分)
むかし、むかし。チョンウチという道士が、おとうさんがなくなり、めのみえないおかあさんとくらしているハンジャギョンというおとこをたすけました。かけじくをわたして、「へやにかけて 蔵番をよぶがいい。さいしょの日には、100両もらって、父上をとむらいなさい。つぎの日からは 一日に 一両ずつ もらえば なんとか たべていけるだろう」と、いいました。そして「よくばりすると ばちがあたる」と。ハンジャギョンが、かけじくをかけてみると、そこには、蔵がひとつと、蔵番がひとり。100両でおそうしきをあげ、一日に一両ずつもらい、おかあさんにも よいくらしをさせ しあわせでした。
ところが、9万坪のはたけが、100両で手に入るときいて、蔵番に、一度に100両をくれるように、たのみましたが、「はい」とは言いません。「うらやまの木に しばりつけて トラのえさにしてやる!」と大声で言うと、蔵番は おそろしくて「じぶんで もっていってください」と言いました。ハンジャギョンが かけじくのなかに はいると、蔵番は門をあけました。そこは宝もので いっぱいです。ふくろに100両をいれ 蔵番をよびましたが、へんじがありません。門をドンドンたたくと、とつぜん門があいて「おおどろぼう!王さまの宝にてをだすとは!」と、王様のまえにつれていかれました。あわてて きゅうでんの 蔵をのぞきにいった 王さまですが、宝はみんなきみのわるいものに、かわって、かびだらけ。
ハンジャギョンは道士のことを白状し、おしりを100回たたかれて・・・ おかあさんの顔が うかんできました。そのとき、ヒュゥ〜、〜〜ワルルン!とたつまきが きゅうでんのにわを かきまわし、ハンジャギョンをふきとばしました。チョンウチ道士は「かわいそうでたすけたのに、むだになった。いのちはたすかったのだから、これからはよいことをしてくらしなさい」と風のようにきえてしまいました。いえのかけじくには蔵だけ。蔵番はいない、門もしまっているのです。(韓国版アラビアンナイト?子ども達に掛け軸ってわかりますかねぇ〜?)


ふるやのもり(今江祥智 文、松山文雄 絵)〔ポプラ社〕11分
うまやにどろぼうとオオカミ。よい馬がいるのでそれを盗むつもりのばくろうははりの上に、馬をとってくうつもりのオオカミは馬やのすみにいて、その家のじい様たちがねしずまるのをまっていた。まごっこに話をするのだが、こわいものの話をしてくれとせがむ。一番こわいものは「ふるやのもり」とじいさまとばあさまは口をそろえて言う。家が古かったから雨がふるとぽたぽたもるので困っていた。「今晩ぐらいきそうだな。」それを聞いてこわくなり、逃げ出そうとして、ばくろうははりからおちてオオカミの背中に。オオカミはふるやのもりだと思って一目散に山へ向かって走り出す。明るくなってばくろうはオオカミの背中の上にいることに気がついて、途中の木にしがみつくが、しばらくするとオオカミがトラとサルと一緒にやってくる。ばくろうは、木のほらの中に逃げ込んで・・・・・サルとオオカミ、トラは・・・?

へえろくがんばる(北彰介 作、蓑田源次郎 絵)〔岩崎書店〕15分
困ったことがふたつ。岩木山が噴火して、津軽平野に石や灰をふらせたのは、火の玉太郎との仕業だと・・・。弘前の町外れの八幡さまには、毎晩ばけものがでて町の人はこわがって夜もでられない。
ところで、弘前の町に、何か頼まれると「へえ、よごす」と、すぐに引き受けてくれる あめ売りの六助という若者がおって、”へえ六さん”と呼ばれていたのが、そのばけものを 退治して欲しいと 頼まれる。真夜中の八幡様。「おぼさりてぇー。だれかにおぼさりてぇー」という声に「へえ、よごす」と後ろ向きになるとめくらのかっぱがちょこんとおぶさっていたんだと。「おらは 岩木山のぬまの かっぱだども、火の玉太郎とけんかして、目の玉とたからのひょうたんば、とられてしもうた。お山が火ばふいているのは、火の玉太郎がわるさばしているからだ。あいつをやっつけてくれろ」「へえ、よごす」というわけで岩木山にのぼったへえ六は、火の玉太郎のやしきから娘を助けだし、かっぱの目の玉とひょうたんをみつけだしたところへ、帰ってきた火の玉太郎に見つかり逃げ出した。あぶらがめがたおれ、すべってころぶ火の玉太郎。八ごうめあたりでやっとおいつくと、真っ赤な火を口から噴出す。へえ六が ひょうたんのせんをぬくと 水がとびだし、ほのおをけしてしまった。火の玉太郎が空にむかって火をふくと、小さな火の玉こぞうになってふってくる。草も木ももえだしへえ六のきものも、もえだした。そこへ、めくらのかっぱを 先頭に手に手にひょうたんをもったかっぱたちが助けにやってきた。とうとう、火の玉太郎は深い谷に逃げていった。
山をのぼってきた村や町の人たちが、石を積み谷に高い石がきをつくり、かっぱが水をいれると、大きなぬまになった。「あっぷ あっぷ たすけでけれー」と、さけぶ火の玉太郎を「へえ、よごす」と助けてやると、火の玉太郎は、「いままでの つみほろぼしに、いいことを やります」とあやまってじめんのそこへもぐっていったと。そのときから 岩木山は、いまのようにおとなしい美しい山になったんだって。
(津軽平野にそびえる"岩木山"を舞台にした創作民話。岩木山は、標高1.625メートル、青森県にある、津軽富士とよばれる山ですが、古くは霊山として農民の信仰を集めた山なのです。休火山であちこちに温泉地がありますし、青森県と秋田県にまたがる、世界最大級といわれるブナの天然林、世界遺産に登録された白神山地は岩木山の南西になります。行ってみたい〜)

ぼくのうちに波がきた(キャサリン・コーワ 文、マーク・ブエナー 絵 中村邦生 訳 オクタビオ・パス 原案)〔岩波書店〕9分
はじめて海にいって波が大好きになった。帰ろうと思ったとき波の一つがついてきた。そして家まで。部屋中波で一杯になって・・・僕は仲良くしていたけれど波は機嫌の悪い時もあった。冬になって波は部屋の隅にちぢこまって、家の中はゆうれいやかいぶつでいっぱいになった。波をこのままうちに置くわけにはいかないとお父さんはいったけれど、その前に僕達が波をのこして留守にすることになった。戻ってきた時には波は凍っていて、僕はお父さんとう実に戻しにいった。波がいなくなった。けれども友達がいないのはさみしい。

モチモチの木(斎藤隆介 作、滝平二郎 絵)〔岩崎書店〕9分
五つになった豆太。夜中にひとりではセッチンにもいけず、じさまを起こしてついていってもらう。峠のりょうし小屋で二人で暮らしている。じさまは豆太がかわいそうで可愛かった。小屋の前に、豆太がモチモチの木と名前をつけた大きな木があって、シモ月二十日のうしみつにモチモチの木に灯がともる。山の神様のおまつりなんで、勇気のある子どもだけがその灯を見ることができる。じさまもおとゥもみた灯を豆太は・・・・・真夜中にじさまのうなり声で目をさました豆太は大急ぎで医者さまをよびになきなきふもとへ走った。こわかったけれど。医者さまのねんねこバンテンに背負われてはじめての雪の夜。月がでていて豆太は、その夜モチモチの木の灯を、みた!!(この絵本はどうしても11月に読みたい!大型絵本を買ったのですが・・・切り絵のシャープな雰囲気がすこしなくなってしまう気がするんですが。)

目(め)ん玉(たま)どろぼう(たかしよいち 文、梶山俊夫 絵)〔岩崎書店〕10分半
むかし、加賀の国のある村に、なまけものの男が一人すんでおった。はたらくことがきらいなくせに、よくふかで、いちどにたいきんをもうけていっしょうらくしてくらしたいとおもっていた。みちで であった ぼうさまに「りゅうの目ん玉を てにいれると、ひとつでも いしょうらくにくらせる・・・」と、聞いておおきな ふろしきづつみを かついで 九つの頭を持つりゅうがいるという 白山めがけて のぼっていった。山おくのほらあなに りゅうがいて、千のとしにもなるとしよりで、一日中 なにもせず すっかりたいくつしておった。そこへ、男がたずねてきたので、「なんのようじゃ」とたずねると、ふろしきからさかだるをとりだし 一緒に酒盛りをしようという。ふらふらになるまでよった りゅうは、となりのへやにはいると、十八のひきだしのあるたんすに 自分の目ん玉をとりだして ていねいにしまうと、ねむりこんでしまった。男は、ふろしきにつつんだ ガラスの目ん玉をとりだし とりかえると、大ぶろしきにつつみこんだが、しょってみるとその重いこと。それでも うんこら、うんこら、山をおりていった。しばらくして 目をさましたりゅうは、これまでとはちがう目ん玉に気がつき、きゃくじんに れいを言わねばと、男をおいかけたが、男の方は、つかまえにきたとばかりに ふろしきづつみをなげだし、あわててにげだすと、目ん玉がごろごろ ころがってくる。「たすけてくれ〜」と逃げてくると、いつかのぼうさまが たっていた。お寺に にげこんだ男は「ナムアミダブツ・・・」とねんぶつをとなえ、てをあわせておがんだ。すると、目ん玉は、ざんぶと川の中へころがり、りゅうも、お寺のところで 男のすがたを みうしなってしまい、あたらしい目ん玉をぎょろりとさせて山へかえっていった。九頭竜川のお話。(残念ながら絶版です。図書館で捜してねぇ〜)


山のいのち(立松和平 作、伊勢英子 絵)〔ポプラ社〕11分半
コンクリートの団地の十五階から外へ出ない静一。外国出張に行く父と母の留守に父の故郷に預けられる。父の故郷は山の中で、祖父が一人で住んでいるのだが、迎えてくれた祖父は静一のことを”良一”と父の名前で呼ぶ。
よくうれた赤いスイカ、トマトの実は陽をあびて輝いている。にわとり小屋の前に立つ静一に祖父は「毎日卵をうんでいたにわとりが五羽、イタチにやられた。屋根を破って飛び込んだはいいが、にげられなくなって・・・」と言い、小屋の中のイタチの檻(おり)をもって二人は、山の中を川へ行く。川で祖父は、イタチの檻を水に入れ、喉元にナイフをたて尻尾に向かって引く。「かわいそうだね」静一のくちから久しぶりに言葉がもれ、祖父は静一に「山にはなんでもある」と山の生き物のことを、山の中ではむだがなくぜんぶがぐるぐるとまわっていると教える。そのイタチを竹ざおにつけ、川の中のヤマベをとる祖父は静一には父よりも若く見えた。祖父は静一にも同じことをやってみるように教えてくれる。(自然の中で生きていく智恵が子ども達に引き継がれるといいですね)

やまんばのにしき(松谷みよ子 文、瀬川康男 絵)〔ポプラ社〕12分
”やまんば”が赤ん坊を産んでお持ちが食べたくなりました。生まれたばかりの”がら”が村へ行ってもちを持ってこいというのですが、村人は怖くて怖くて・・・誰が持っていくのかで、困りましたが、”ばんば”が出かけていきます。しばらく”やまんば”の手伝いをした”ばんば”に、土産を持たせ、村の人のことにも気をつけてくれるやさしい”やまんば”です。瀬川康男さんの”やまんば”の絵は髪飾りをつけたやさしい顔なのですが、赤ん坊の”がら”も”やまんば”も口には小さな牙があっててと足の爪が長くとがっているので、ん?やっぱり怖いのかなと思ってしまいますが・・・・・(やまんばの子どもは金太郎という、きまった設定が昔からあるんですが・・・)


六にんぐみせかいあるき 絵本グリム童話(矢川澄子 再話、スズキコージ 絵)〔教育画劇〕(9分半)
はじめはひとりのへいたい。もりであったおとこはちからもち、そしてかりゅうど、すばらしい目のもちぬしです。かたほうのはなのあなからはないきをだして、ふうしゃを動かすはないきのもちぬし。これで四にん。つぎにであった一本あしのおとこは、二ほんそろえばとりよりはやい。ちっぽけなぼうしをななめにかぶったおとこは、こおらせおとこ。
さあ六にんぐみはみやこにやってきます。おひめさまとかけっこ。むしやきにされそうになっても、みんなは無事。かつげるだけの金貨をいれるふくろは大きすぎ、王様はおこって騎兵隊に追いかけさせますがはないきでふきとばされます。六にんぐみはたからものをやまわけにしてさいごまでおもしろおかしくくらしましたとさ。


〔〕は出版社
















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